ニャゴが見せてくれたかも知れない夢

久しぶりのブログの更新ですm(_ _)m

ブログの更新が滞っている間も、シッティングに走り回り、ツイッターで日々つぶやき、Instagramにお母ちゃんの写真をアップしたり…と、忙しくしておりました(^_^;)
SNSの手軽さに、すっかり長文の投稿が出来なくなっていました…

ニャゴの遺影

ニャゴが亡くなって、間もなく一年になります(7月20日)。
ニャゴを忘れることはなく、お骨の前にお水を供えて「今日もよろしくね」と、話しかける毎日です。

ニャゴのことをブログに書こうかな、どうしようかなと、思いあぐねていました。

ニャゴの最期は以前、ブログにも書いたように、(何かしらの感染症から)肺が機能しなくなり、息も絶え絶えで苦しそうにしているニャゴのことを考えて、先生に注射を打ってもらい、息を引き取らせたのでした。

「自然に死なせてあげられなかった」
この後悔がずっと、私にはつきまとっていました。

思い出しては、
「病院に連れて行かなければよかった」
「家で看取ってあげればよかった」
「外で、好きなようにそのまま死なせてあげればよかった」
と、後悔ばかりでした。

特に、普段お世話になっている病院ではなかったことも影響していると思います。
「あの先生は本当に、ニャゴのことを思って注射をと言ったのだろうか。早く私たちに引き取ってほしくて、本当はまだ命を永らえることが出来たのに、何万もする注射をすすめたのでは…」
とさえ、思ってしまっていました。

でも、先日、夢を見たのです。
その夢は、私が死にかけている夢でした。

病院のベッドに横たわって、何度も何度も息が止まりそうになるものの、その度に息を吹き返してしまう。

苦しくて苦しくて。
「よし!やっとこれで死ねる!!」と思っても、また…
夢の中で医師が言うには「心臓が強すぎて、死ねない」といったものでした…(^_^;)

結局、夢の中で私は死ぬことが出来ず、目がさめました。
起きて思ったのは
「ニャゴは、苦しみをとってあげることが出来てよかったのかも知れない」
というものでした。

勝手に見た夢で、勝手な解釈をして、勝手に救われてしまったのですが…

でも、大切な存在である、大事な猫を亡くした人は、多くの人が「あれでよかったのか」と後悔に似た思いを抱えていると、感じています。

お客様の中にも
「私が飼わなければ、あの子はもっと長生きしたのかもしれない」
と、自らを過去にさかのぼって責める方もいます。

私もその一人なので、少しだけ気持ちがわかります。
でも、みなそれぞれ抱えている悲しみの中身は違います。
だから、完全に理解をして、その人のためになることなど何も言えません。

むしろ、こちらが何か気がきいたことを言ったつもりになって、悲しい思いをさせてしまうことがあるのかもしれないと、何も言えずにいました。

私とお母ちゃん

ただ、こういう事があったよと、ちょっとブログに書いてみることで、「ああ、そういう救われ方もあるのか」と思う人が、ひとりでもいるかも知れないと思いました。

ニャゴは、夢には出てきませんが、こうやって私にこんな夢を見せることで「大丈夫だよ」と言ってくれた気がしてなりません。
ニャゴ、夢に出てきて欲しいなあ。

間もなく一年。
いつもニャゴと一緒だったお母ちゃんも、この一年でだいぶ年を取りました。
ニャゴがいないことをどう受け止めて、そして忘れていったのかな、と考えることもしばしばです。

少しでもお母ちゃんが「心地よい」と思ってくれるよう、最期の時まで「嫌なことは、なかった」と思って逝ってくれるよう、日々を支えていきたいと思っています。

どうが、これからも見守ってくださいね。


ニャゴのことだけでなく、これからはブログをもっと更新します!下書きはたくさんありますので!(^_^;)