動物虐待事件についてやっぱり書きたい

少し前に起きた動物虐待事件。
実は9月にこの件について記事を書いていました。
が、投稿することがなかなか出来なくて、今日まで来てしまいました。
投稿することが出来なかった理由は…
やはり、特定の出来事に何か発言をすれば、自営業にとって良いことはあまりありません。
しかし、この件について口をつぐむことは、動物を愛する人間としてやっぱりあってはならないと思い、投稿することにしました。

犯人はさいたま市に住所を置く、中年の男でした。
虐待の内容については詳細を控えます。
残酷な描写や写真、事件の詳細を掲載することはありません。

犯人が捕まった際の報道には、虐待に使用していた器具に「どう使っていたか」という説明が書かれた紙が添えてあり、映像として流れていました。
私はそれを見てしまい、事あるごとにしたくない想像をして涙ぐんでしまいます。

私はブログ、Facebook、Instagramの他にTwitterを使用しています。
Twitterは匿名で投稿が可能であることから、インターネット黎明期からある「2ちゃんねる」の流れを汲んでいるメディアだと思います。
刺激的な言葉遣いや写真を用いて、人の関心をつかもうとする人がとても多いです。
今回のような事件の際には、過激な発言を生む場所になることもあります。
やはり、犯人を実名で糾弾する、住所を明らかにするなどの発言が多く見られました。
職業が税理士だったこともあり、個人の事務所の住所が公開されていることから、エスカレートしていっています。
拡散されるツイートの中には、虐待を記録した映像の一部が「こんなにひどいことをした犯人」と強調するために添えられていました。

犯人のしたことは、絶対に許されません。私も同じ気持ちです。
しかしショッキングなやり方は、理解してくれる人を増やすことにはつながらないと思っています。
虐待の様子を添えて投稿するなんて、動物愛護テロといっても過言ではないと思います。
ただ、その方法でしか「こんなにも私は悲しんでいる」ということを表現できない人もいると思うのです。
その人たちを非難したいとは思いません。

単なる個人でしかない私に出来ることは、悲しみを共有できる相手とこの話をすることで、命を落とした猫たちのことを供養する。世話をしている猫たちに一生懸命愛情を注ぐ。それくらいのことだけです。

ほとんどの人が、同じだと思います。
「それくらいしか出来ない」というジレンマから、激しい感情をTwitterのような場所にぶつけてしまうのかも知れません。

しかし、もっと違うことが出来る人たちがいると思います。

先日、一般市民による「犯人に実刑を求める署名」の提出が行われたことが、小さくネットでのニュースになりました。(私もネット経由で署名しました)
署名を提出する女性に寄り添う支援者の姿などは、写真からは見られませんでした。

普段、SNSをフル活用している有名人がフロントに立つ愛護団体、ネット戦略に長けたNPO、殺処分ゼロを掲げたパレードに参加する政治家など…

彼らは今回、手を差し伸べなかったのでしょうか。
個人ではなく、団体として発言が広く認知されやすい人たち。
彼らが手を結んで、今回、「厳罰化を望む共同宣言」を出すことなどは出来なかったのでしょうか。
新聞一面を使っての「動物虐待は犯罪です」という広告や、CMを流すことだって大げさではない程の事件だと思っています。

ただ、彼らが全く声を挙げていないわけではありません。
一部の方は、それぞれがブログなどで「許しがたい行為」と痛烈に非難しています。
そうではないのです。
もっとつながりというか…大きなムーブメントを期待していたのです。

普段、こういった事件に極力興奮しすぎないようにと気をつけています。
しかし、今回の事件は本当に、本当にひどいものなのです。

私も先に書いたように、本当にダメージが大きです。
ひどいものなのに、「実刑はおろか罰金刑もやっとだろう」という現状にみな、悲しみを深くしています。
それを予測出来るから、みな、行き場のない怒りをTwitterのような場所にぶつけしまうのだと思います。
未だ、沢山の人がこの事件について憤っています。

…愛護団体は、横のつながりがとても弱いです。
「つながりが弱い」などという表現では、ちょっと足りないかも知れません。
お互いに持つ主義主張が強く、はたから見ると同じ目的を持っていそうな団体すら、反目し合う関係にあったりします。
また、個人ベースで愛護活動を行っている方々は、自分のやるべきことで手一杯です。

みな、根底にある「動物愛護」のポリシーは同じはずです。

彼らが、私たちが、手を取り合って、やれることをやっているように感じられないのです。
Twitterでは先日、虐待が行われていた廃屋で猫たちを供養する人たちの様子がツイートされていました。
「助けてあげられなくてごめんなさい」と書かれた紙を置いて、花を手向け、線香を用意していました。
「もしよければ、Twitter越しにいるみなさん、手を合わせてあげてください」とツイートされていました。
この行動を「感情的でクレバーではない」と言う人がいたら…
感情的になることも時には必要だし、彼らは自分たちに出来ることを精一杯しているだけではないかと、私は強く擁護すると思います。

すべての人がクレバーである必要はないとも、思っています。
「感情的でクレバーでない行動をまとめて、すべての人に伝わる形に変えて、動物愛護を前にすすめる大きな主張に変えていくことが出来る人」は、どこにいるのだろうと、こういった事件が繰り返されるたびに、いつも考えています。

動物に対して、自分が出来ることを精一杯したい。
そう考える日々となりました。

最後に…
政治家にしか出来ないこと。それは法整備です。
今回、この事件において、殺処分ゼロを掲げたパレードに参加しているような、動物愛護の気持ちを表明している政治家の方々が、署名の提出から先を担ってくれる気概があるのかないのか、厳しい目で見ていきたいと、思っています。
「きれいな動物愛護」だけ掲げていないか。見ていきたいです。

※内容に不快な思いをした方がいらっしゃいましたらお許し下さい

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